老人と猫(仮題)

第一章 狐寝神社

1.
僕の家は少し高台にある。
そのせいか、見える景色が多い。
見えなくてもいいものまで見える。
なんて思ったりして見た気になっているけれどじつは周りが見えていない。
もちろんわかっている。
近所の裏山に登るだけでももっと見える景色が増えることは。

2.
少し前にある老人と知り合った。
「老人」だと決めつけているけれど、僕は彼の年齢を知らない。
単に、顔色の悪さと少しのシワと思考パターンからそう感じただけだった。

彼はよく猫を抱いていた。
そして良質なカシミアのセーターが似合っていた。
この村では薄藤色のセーターを紳士然と着こなせる老人は珍しい。
Uターン組の可能性もあるけれど村人たちに尋ねてみたものの誰も彼のことを知らない様子だったので近年流行の移住組なのかもしれない。

ところで猫を抱いている彼のセーターにはいつもまるでひっかかりがなかった。
猫が利口だからだろうか。

3.
初めて彼に会ったのは、数か月前、正月を数日過ぎた頃だった。
村には正月の厳かな雰囲気と静けさが漂っていた。
とはいえ正月の余韻なのか住居の窓は固く閉ざされているものの時折人々の笑い声が窓の隙間から漏れ出ていた。
深夜一時頃、僕は裏山の側にある狐寝神社へ向かった。
三箇日を過ぎているわけだから神社はもう閑散としていることだろう。
夜風にあたりながら冬のひんやりした空気が僕を包んでいた。

……大した目的はなかった。
数年前から友人と正月の参拝客の数を数えていたので例年にならって神社の様子を観察してみようと思った、それだけのことだった。

神社の入り口付近で様子をうかがっていると、通常 大晦日の夜は、20人前後の人が神社に常在し、二日三日になると徐々に人が減っていくものの、10分~20分に一度は1人~5人の人たちが現れる。三箇日を過ぎたころには再び大晦日の夜とほとんど同じ状況になり徐々に参拝客の数が減っていく流れだ。家族連れが一番多く、高齢者の割合が高い。狐寝神社は商売繁盛の神が居ることで有名だから参拝の目的は商売繁盛といったところだろうか。

参拝客数は今年も例年とほとんど変わりがなかった。
参道へ通じる道を赤い毛糸のマフラーを巻いた腰の曲がった老女が速足で歩いていく。中年の男女がその後につづく。おそらく二人は夫婦で、男性は老女の息子なのだろう。二人はカジュアルなダウン姿で男性は革のセカンドバッグを、女性はブランドのロゴが全面に入った塩化ビニールのトートバッグを持っていた。
商売をしている家の母親と息子。そしてその息子の妻。
輪の中心になって話していたのは男性でそこから彼らの人間関係がみてとれる。一番よく見かける参拝グループの構成だ。

<そういえば…最近神主の息子がこの村に戻って来たとか来ていないとか…。>
僕は狐寝神社の神主とその息子たちの噂をぼんやりと思い出していた。

「こんばんは!」

突然、背後から声がした。
振り返ると竹のように細い高齢の男性が立っていた。

男はほんのり笑みを浮かべていた。
僕が何も答えないでいると
少し間をとってから「今年は一人なのですか?」と尋ねてきた。

「こんばんは。そうなんです、毎年友達と来ていたのですが去年から友達は都会(まち)に出てしまって」

僕は驚きを悟られないように反射的にいやに明るく返事をしていた。
<この人は誰なのだろう?、どうして僕のことを知っているのだろう?>

彼の腕の中には一匹の小さな猫がいた。

僕の視線に気づいた彼は
「さっき小猫を拾ったのですよ」
と穏やかな表情を浮かべながら優しい声で言った。

4.
老人と数十分話した後、僕はひんやり冷えた家の戸を開けた。

29センチサイズの革靴、23センチのショートブーツ、それから22センチのスニーカーと幅広のサンダル。
玄関の床には異なるサイズの靴が散らばっていた。

ソファに腰かけてテレビの電源を入れしばらくぼんやりと見ていると
革靴の持ち主が画面に映った。
新春から始まるのテレビドラマの番宣だった。
日本屈指の刑事弁護専門の法律事務所を舞台に主人公が無実の被告人を救うべく奮闘するストーリーらしい。
親父は主人公(新人弁護士)が勤める法律事務所のボス弁護士の役を務める。

<あの親父が日本屈指の刑事弁護人の役かよ。>

僕はくすくす笑いながらお風呂を作った。
妙に肌艶のいい親父の顔を思い浮かべながら、「外見が大事だ」という俳優(親父)のアドバイスにならって、今日も美容目的で半身浴をすることにした。

<半身浴をしながら英単語を覚えよう。>

5.
老人は僕の家からさらに2、3高台にある丘の上の家に住んでいるとのことだった。彼の家は外国人が好みそうな和モダンなデザインになっていてこの辺りに多い昔ながらの日本家屋とはどこか趣が違っていた。

大して近所づきあいのない僕はそこに人が住んでいることを知らなかった。
そもそも彼はこの地の住民なのかな。
何才なのだろう。
仕事は何をしているのだろう(何をしていたのだろう)。
いろいろなことが気になったけれど、僕は彼に何も訊かなかった。

<神社で出会ったのだから、キツネのお化けか何かに違いない。>

 

……友達は進学を機にこの村を出て、父親は画面の中へ消えていった。
今年 母親と妹はこの村に帰らなかった。

狐寝神社は学業成就の神がいる神社ではない。とはいえ、キツネのお化けの力を借りられたら、僕もこの村から出ることが出来たり…しないかな?。

 

 

第二章 二件の事件

1.
あれから一週間が過ぎた。
この一週間の間に村では二件の事件が起きた。

一件目は深夜に駅前の携帯ショップが襲われ商品と現金数十万円が奪われるという事件である。被害総額は300万円~400万円と言われている。
ショーウィンドウが割られ、正面ドアから窃盗犯が店内に侵入したそうである。
事件の翌日、店の前を通った時にはまだガラスは割られたままだった。
派手に割られたガラスが印象的で思わず見入ってしまった。

二件目は裏山にある狐池から女性の死体が浮かび上がったという事件だった。
左足が浮かんでいるのを早朝の散歩をしていた四十代の男性が発見したのだとか。

 

2.
「窃盗事件の犯人、ずいぶん粗暴だね、すぐに警備が来そうなものだけど」
僕は村を離れた友達に電話越しに言った。

「……それが案外。まだ犯人捕まっていないね」
そう言った後、友人はこう付け加えた。
「そんなことより受験が終わったら飲みに行こうな」

僕はもうお酒が飲める年齢になっていた。

電話を切るとグラスに注いだ梅酒のソーダ割りをごくりと一口飲んだ。
風呂上がりの梅酒は格別。ほんのり甘酸っぱくて美味しかった。

炭酸の泡が音を立てて浮かび上がってくる様子をみながら、封が切られていない十三通の手紙を懐かしむように眺めた。
そのうち一通は今日母親から届いた宅配物の箱の中に無造作に入れられていたものだった。現在使っていない家電など転居先で保管に困った物と一緒に送ってきたようだ。

<僕はなんて書いたのだろう、正確に覚えていない>
十三通の封書を綺麗に揃えて引き出しの中へ片付けた。

「忙しくて読む時間がないのよ」
十年前、十二通の手紙について母はそう言った。

<どうして読んでくれないの?>

「忙しくて読む時間がないのよ」
きっと、また同じように答えるだろう、僕と会話する気があるのなら。

 

3.

「就職活動の真っ只中だったんだろう?」

「認めれば罰金ですむ、大したことじゃない」

「男ならそういうこともあるって、な?」

「ややややややや…ってませんーーーーーーーーーーー」

「お前の人間性が試されているんだ、わかっているのか?」

「だからやってませんって」

「お前の母親が泣いていたぞ、人に迷惑をかけただけでなく、未だに言い訳して罪を免れようとしている汚い人間だって」

「う…母さん……」

「でも、お前の家族は絶対にお前のことを見捨てたりなんてしない。早く再出発したらどうだ?」

「……うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああん」

今夜もぼくは梅酒のソーダ割を飲んでいた。
相変わらず、録画した親父が出演しているドラマを観ながら。

刑事が痴漢事件の被疑者を取り調べている場面だった。

<この大学生の家族は、まあ見捨てたりしないよな。
これまで子育てにかけてきたコストを考えれば痴漢ぐらいで……>

「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

え?

「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

なに??

ぼくは部屋中を見渡した。

「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

猫はいなかった。

「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

窓を開けて外をのぞいてみると庭に積み上げられているレンガブロックの上に猫が座ってこちらを見ていた。

<老人が抱いていた猫だ!>

スマホのカメラを起動させて猫の動画を撮影してみた。
どれだけ近づいても猫はちっとも逃げようとしなかった。

<次のインスタのストーリーはこの猫にしようっと>

月も星も見えない夜だったが、案外上手く撮影することができた。
撮影が終わって満足したぼくは再び窓を閉めた。

「ニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ」

<…! なんだ?!>

再び窓を開けて猫を見た。
相変わらず、猫は積み上げられたレンガの上に座っていてぼくの家を見ていた。

寂しいのか? お腹が空いているのか?
猫の方へ手を伸ばし身体を撫でてみた。
特に痩せているわけでもないし毛並みも良好だった。

ガタン…

正面玄関の方から物音がした。
庭木で影になっている場所にあの老人が立っていた。

「ここに居たのか」

やさしい声でそう言うと老人はぼくたちの方へ近づいてきた。

「……君は」

不思議そうな顔をしながら彼は僕を見上げた。

4.

どういうわけかぼくは老人を家に招き入れていた。
年始からずっと家に一人だったせいか、話し相手が欲しかったのかもしれない。

この日の彼は薄水色のカシミアのセーターを着ていてやはり服装に乱れがまるでなかった。

<ホントこの村では見かけないタイプの老紳士だよなぁ>

老人には温かい緑茶を出し、ぼくはグラスに梅酒ソーダを注いで飲み続けていた。
軽く酔っぱらっていたせいだろうか……この日ぼくは普段よりずっとおしゃべりになっていた。

「駅前の携帯ショップ、酷い荒らされ方だったね」

「こんな田舎町で…珍しい事件ですよね」
老人は冷静に答えた。

「うん。そうそう、そういえば、ああいった粗暴な事件の犯人ってさ、案外おじいさんみたいな非力で上品そうな人だったりして」
そう言ってぼくはゲラゲラと笑った。

老人はテレビの方をちらりと見て
「もしわたしだとしたら、わたしのこと弁護してくれますか?」
少し微笑みながら老人は言った。

弁護人役のぼくの親父が、痴漢の被疑者となった青年を慰めている場面だった。

「だめだよ、ぼくは冤罪事件しか担当する気ないから」

 

5.

……それから後のことは覚えていない。